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この辺がマニアック

「バガボンド」に出てくる、武蔵にも多大な影響を与えた刀鍛冶師・本阿弥光悦は、茶人としては、「へうげもの」の主人公・古田織部の後年の弟子らしい。

うおおおお、同じモーニングでリンクしとる!

こういうリンクに萌えてしまうのが俺の歴史好きとしてのマニアック気質なところ。ゲヒヒヒ

千利休 (秀吉の筆頭茶人。わび茶の完成者。茶聖)

古田織部 (利休七哲のひとり。「織部焼」創始者。桃山時代において「織部好み」と呼ばれる一大流行をもたらす)

本阿弥光悦 (書家・芸術家・茶人。「寛永の三筆」の一人。)

と言うライン。

自分「へうげもの」が始まった頃は主人公の古田左介が有名な「織部焼」の古田織部だとは知らなくて、信長の死、秀吉の天下取りに伴って「織部」の官位を賜った時に「うおおおお!そうだったのか!」と思ったもんです。しかし知らなくても現代人が「数寄」に興味もてる作りにしてるのが、漫画として凄まじく上手いところ。数寄者たちの感覚はオタクなら共感できるところ大だと思います。と言うか数寄者同士の会話はオタクの会話そのもの(笑)。「九十九茄子茶入のこの釉薬の流れ方が」とか「この八角茶釜のがにっとした形が…」とか、固有名詞を「リボルテックの可動域が」とか「S.I.C.のこのぎゅおんっとしたアレンジが」とかに変えるとまんまw。「侘び」「寂び」「萌え」とはよく言ったものです(笑)。

ただ、数寄者たちの多くは一方で戦国の武人たちでもあります。「へうげもの」の作者山田芳裕先生のお言葉ですが、「一ミリほどの色の変化がわかる趣味人にして死ぬまでぶつかり合う武人」、凄まじいと思います。

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コメント

>数寄者たちの感覚はオタクなら共感できるところ大だと思います
そうか~、現代の数寄者がオタクだったんだ?!

・・・ちょっと違いますか?!でも、侘び寂びのように芸術の域で論じられる精神的境地は長い時間の中で認識され、何より為政者を取り込む流れがあったが故に誰もその人々を「中世のオタク」とは評しないのでしょうw。
まだ、生まれたばかりの対象とは比較しようもない訳ですが、茶器や掛け軸と同じ次元で語られるにはあと400年強経てばちがうのかもしれませんねw。

異なる作品における同一人物またはそれに関係する人物の重ね合わせを楽しむのは読者としての醍醐味だと思います。小説でもそうなのですが、ある作品で出てくる脇役的人物が別作品においてはかなり重要なファクターとして描かれていれば、それを読み終えたあと、もう一度読み返してみると新たな見方ができますね。

特に、自分はどちらかと言うとマイナー人物ばかりに目がいく口でw、なかなかそのようにクロスオーバーする場面が少ないのが残念だったりもしますw。
今は、地元の歴史資料館・郷土館の類を巡って、教育委員会編の地元向け資料を集め、異なる市町同士の関連性を見出す作業を楽しんでいます。

投稿: ドッゴ | 2007年11月 5日 (月) 14時10分

>そうか~、現代の数寄者がオタクだったんだ?!
>誰もその人々を「中世のオタク」とは評しないのでしょうw。

いや、俺は当時のオタクが数寄者だと、結構本気で思ってます(笑)。美術品愛好家とかも一緒ですよ。
仏像とか見に行くと思うんですけど、ありゃ結局フィギュアですぜ!

むしろ権威とか見栄やブランドじゃなく、自分の眼や価値観に拠って立っているという一点において、権威主義やブランド志向の愛好家・数寄者より上等だと思うくらい。

>特に、自分はどちらかと言うとマイナー人物ばかりに目がいく口でw、なかなかそのようにクロスオーバーする場面が少ないのが残念だったりもしますw。

確かにマイナーな人物だとめったにないですねー。信長だの家康だのはあちこちに出てくるので特に感動はないですが、疋田文五郎(バガボンド・剣の舞)や上記の例の本阿弥光悦(バガボンド・へうげもの)あたりのリンクになってくると嬉しくなります。

昔感動したのは、アメリカの南北戦争後の使わなくなった銃が幕末の日本に入ってきて幕長戦争に影響した、とかの世界史レベルのリンクですね。こういうのは非常に萌えます。


投稿: TAK@森田 | 2007年11月 7日 (水) 18時44分

>権威とか見栄やブランドじゃなく、自分の眼や価値観に
>拠って立っているという一点において、権威主義やブラ
>ンド志向の愛好家・数寄者より上等
そうか、そう考えるといいのか?!数寄者の傾向として
南蛮物であったり○○作とかに拘る=ブランド志向に比
べれば、現代のオタクの方がある意味自分でどんどん深
化し続けるだけ能動的と言えますね。
利休や織部の様に自らが納得し得る物を得るために‘製造’
まで手掛けた行為を現代に置き換えれば…それって
森田さんの作品が作り出される過程自そのものだw!
あっ、もっと正確に書けばアルセーヌ・ルパンのマンガ
化が森田さんによって成された場合が該当って所でしょ
うかw。

>ありゃ結局フィギュアですぜ!
そこに「祈り」が存在するかしないかの違いですが、フ
ァンとして「大好き」と言う感情移入が起きればある意
味その個人にとっては仏像以上の存在に成り得ているか
もしれませんねw。

リンクとは別物ですが、同一人物(素材)でも違う作者
によってその切り口が異なり、その比較を楽しむ事もあ
りますね。三国志の小説であれば北方謙三と陳舜臣みた
いな。陳さんの「秘本三国志」はマニアックな設定や史
実を上手く織り込んでいて一押し、その上諸葛亮と曹操
をメインとする2作があるので計3作を読み合わせると
より楽しかった。

マンガで描かれた三国志ものならやはり・・・

                「青春の尻尾」w。

投稿: ドッゴ | 2007年11月 8日 (木) 02時35分

一方で確かに、へうげもののテーマの一つとして描かれている、「世が替わったら価値観自体も変わる」「利休が「良い」と言ったものが良い物として世に認識される」と言う、価値観と言うものの不安定さも面白みとしてあると思いますね(笑)。「だれそれが持っていた」とか「箔」とか、「そこをわざとはずしたところが面白い」、とか、もう(笑)。

実生活からするとある種どうでもいいところに熱く入れ込むところが、またオタクに通じるへうげた人生の楽しみ方かと思えます。

>そこに「祈り」が存在するかしないかの違いですが、フ
ァンとして「大好き」と言う感情移入が起きればある意
味その個人にとっては仏像以上の存在に成り得ているか
もしれませんねw。

そう、確かに宗教的な「祈り」や「神」「仏」と言う要素とどれだけ重なるかは議論の余地があるかと思いますが、自分としては突き詰めていけば結局変わらないと思っています。
作り手側の「魂を込める」と言う行為から考えると、例えば手塚治虫先生は「火の鳥・鳳凰編」を描かれた時、間違いなく大和の茜丸と我王と言うふたりの仏師に、自らの創作活動への思いを重ね合わせて描かれたと思いますね。

僕レベルでは歴史に残る仏師たちに共感などとはおこがましくて言えませんが、手塚治虫先生や数多くの僕の尊敬している漫画家さんたちレベルになると、十分に肩を並べる、もしくはその中でも秀でた存在だと思っております。

>陳さんの「秘本三国志」は

おっ、ドッゴさんも三国志読まれるのですか。
僕は三国志ものと言うとやはり、「蒼天航路」が群を抜いてますね(笑)。漫画の中でもトップレベルに好きです。
蒼天航路についての思いは以下の記事に書いたので、良かったら読んで下さい。

http://tak-morita.air-nifty.com/flat_land/2005/11/vol111_6696.html
(以下、vol.3まで)

陳瞬臣さんの小説は僕も結構読んでいます。「秘本三国志」ネタは特に文化面では蒼天航路もかなり影響受けていると思いました。「魏の曹一族」「諸葛孔明」も読みましたよー。
陳さんの小説は文化面とか面白いんですけど、ちょっと対立勢力の八百長解釈が多過ぎなのが多少萎えるかな…。一つ大ネタくらいならいいんですけど、劉備と曹操も阿吽の呼吸でした、諸葛亮と司馬懿も八百長でした、と言うのはちょっと…(他にもたくさんあるんですよね~)
陳さんの小説だと、短編がかなり面白いと思います。「中国奇人伝」とか、あと「小説十八史略」はかなり面白かったなー。(あれも短編の寄り集まりみたいなものですし)
あ、長編だと「チンギス・ハーンの一族」は好きでした。モンゴルや中国のことを描くのに、第3回十字軍のサラディンの勝利から始める壮大さがたまりません!

投稿: TAK@森田 | 2007年11月17日 (土) 01時44分

>自分としては突き詰めていけば結局変わらないと思っています。
細かく哲学的にだ心理学的にだといっていけばその差異は明らかにされるのでしょうが、一人間の志向を具現化した物=偶像としては同じだと思います。
創作と言う観点からすれば、森田さんが書かれているように古の仏師と現代の漫画家の比肩はまるきりおかしな話ではないと思います。その創造物(仏像でありコミックであり)がその受け止める側に与える影響は多大だと言う点でだけでも。

>ドッゴさんも三国志読まれるのですか。
人形三国志、光栄ゲーム世代としては必須条件だったと言う事でしょうかW。


>対立勢力の八百長解釈が多過ぎなのが多少萎えるかな…。
痛い所を突かれましたW。そこは僕もちょっとやりすぎかなと思いました。ただ、文化面などそ舞台背景の脇を固めるファクターを知りたいと思っていた自分にとってはツボを得た作品だったかなと。張魯の母は長生きしすぎですW。

>長編だと「チンギス・ハーンの一族」
良いですね!三国志もですが、陳さんの歴史小説は華麗な英雄譚に終わっていないところでしょう。しかしサラディーンがあんな形で絡んでくるとは思いもよりませんでしたがW。
当然つながりで「耶律楚材」も・・・でしょう。

>「青春の尻尾」
あらっ、滑っちゃいましたかW。
実は横山三国志より先に読んだのがこっちで、男の子には刺激的でした。

投稿: ドッゴ | 2007年11月17日 (土) 12時01分

>人形三国志、光栄ゲーム世代としては必須条件だったと言う事でしょうかW。

うちらの世代は三国志世代ですねえ(笑)。
海音寺潮五郎先生が司馬遼太郎先生との昔の対談かなんかで、「この頃の若い者は三国志の英雄の名すら知らない、自分たちは三国志や水滸伝の英雄の名前をいくつ言えるか友人と勝負をしたものだが…嘆かわしい」みたいに話していて吹き出した事があります(笑)。銀英伝の田中芳樹先生のインタビュー読むと「自分たちの頃は誰も三国志を読んでいなくて寂しかった」と言っておられたので、ちょっと上の世代は三国志的には穴なんでしょうね。

しかし海音寺潮五郎先生、なんで上から目線なんだよと大爆笑(笑)。うちら三国志の英雄なんていくらでも言えますよね。「MS何体知ってるか」「ポケモン何体言えるかな」と本質的に変わらないと思うんだけどなー。

いくつになってもどの時代も結局男って一緒だなと思います。現代は男の素直な価値観が必要以上に貶められているだけで。昔の男って幸せだったと思いますよ(笑)。

>そこは僕もちょっとやりすぎかなと思いました。

やっぱり気にはなりますよね(笑)。

文化面とかにスポットを当てるのは本当に陳先生「ならでは」と思いました。他の三国志作品では見えなかった生活感の肌触りが見えてくる感じで。陳作品の場合、三国志が舞台でも戦争小説じゃないんでしょうね。だから、張魯の母や「チンギス・ハーンの一族」のマリアみたいな長生き聖女キャラがかなり重要になってくるんだと思います。

>当然つながりで「耶律楚材」も・・・でしょう。

当然持っています(笑)。

>「青春の尻尾」

スマンです、知らなかった…。と言うか、不覚ながら耳にした事ないです。気になります~。チェックしてみようかな。

最近の三国志ものでイチオシは、酒見賢一先生の「泣き虫弱虫諸葛孔明」です。作者の酒見賢一先生は、ジブリ系でアニメになった「雲のように風のように」の原作「後宮小説」の作者、また、この間映画にもなった漫画の名作「墨攻」の、原作小説の作者様でもあります。

「泣き虫~」は、もしかしたら孔明ファンには噴飯ものかも知れませんが、かと言って無能力者に描かれているわけでもなく、「蒼天航路」の得体の知れない変態天才孔明に一番近い人物像に描かれてると思います。それでいて文献から解釈するに、ないとは言えない人物像なのが心憎い!(蒼天孔明もそうですが。)

「『徐庶、いきまーす』とばかりに登場し…」などとガノタ的にもニヤリとするへうげた文章でありながら気品を失っていない、高度な文章だと思います。これはデビュー作の「後宮小説」の頃からの、酒見先生の稀有な才能だと思います。オススメ!

投稿: TAK@森田 | 2007年11月17日 (土) 13時34分

>海音寺潮五郎先生、なんで上から目線なんだよと大爆笑(笑)。
それは耳が痛いですなw。来年大河ドラマが「篤姫」と言
う事で「西郷隆盛」に関する海音寺先生の遺品や遺稿の特
別展を県立図書館が先日までやってましたね。地元出身と
言う事もありますし。でも、何で鹿児島は幕末ばっかりな
のかな…、戦国期の島津親子・兄弟とかあるのだけど。

>スマンです、知らなかった…。
いえいえ、自分達の世代が知らない方が普通かとw。1975
年に小学館の「GORO」(かすかな記憶だと俗に言う青
年誌)で連載されたものです。ガキ時分、近所のラーメン
屋さんで目にしてドキドキした作品との認識ありw。

>酒見賢一先生の「泣き虫弱虫諸葛孔明」
是非、読んでみます!

投稿: ドッゴ | 2007年11月18日 (日) 05時25分

>それは耳が痛いですなw。

あう、すみません~。ドッゴさん鹿児島県民でしたか~。
いえ海音寺潮五郎先生も好きですよ。「大爆笑」と言うのも、愛を持って言っております(笑)。おこがましいですけど。

そう言えば鹿児島では、やはり大久保利通は憎まれているのでしょうか? 今イブニングでやっている「せごどん」と言う西郷隆盛の漫画を楽しみにしているのですけど、なんか大久保が卑小に描かれている気がして気になります。作者の道明先生も鹿児島出身らしいので、やはり地元ではこういう認識なのかなーと思いながら読んでいます。

自分としては、大久保は大久保で英傑と思っていますので、悪役でもいいんだけど、卑小に描かれるのは首をかしげちゃうかなあ。嫌われ者だとしても、例えば銀英伝のパウル・フォン・オーベルシュタインのような凄みある嫌われ者に描いて欲しいなと。

>戦国期の島津親子・兄弟

あ、確かにその辺も見たいですね!
でもまあ、島津斉彬がメジャーになりそうなだけでも、「篤姫」は嬉しい気が。

投稿: TAK@森田 | 2007年11月18日 (日) 22時44分

>あう、すみません~。
いえいえ、自分は海音寺先生の作品は短編関係しか読んでいなくて・・・そちらの方がよっぽど失礼かとW。

>大久保利通は憎まれているのでしょうか?
大久保は地元の為ではなく国の為に動いた分、どうしても印象が良くないのは否めません。実際その銅像も自分が生まれた後にできたものですし、西郷の立ち寄った温泉は県内各地で目にしますが大久保のと言うのは聞いた事もありません。西郷と異なりその身の処し方からか、どうしても判官贔屓で功績に比し損していると思います。個人的には今後は大久保の視点からの作品が出ても良いと考えます。オーベルシュタイン系が似合うと自分も思いますよ。
結局卑小なキャライメージに落ち着いたと感じましたが、「明楽と孫蔵」(森田信吾)は面白かったですね。あれで、示現流の達人だったら良かったのでしょうがW。
「せごどん」でもパッとキャラ的に飛躍変身(?)すると葛藤が明確になりラストに向けて面白くなっていくのではないかと思います。

>あ、確かにその辺も見たいですね!
「島津奔る」が出た時、「これでドラマ化に…」と淡い期待が出ていたのですが、如何せん盗作問題が起こり池宮氏の死去で遠のいたと感じました。。。

投稿: ドッゴ | 2007年11月19日 (月) 13時57分

>大久保は地元の為ではなく国の為に動いた分

逆にそこが、地元利益誘導型の国会議員に疑問を持つ自分としては、大局を見据えた政治家として今こそ評価したい気がします(笑)。

自分は転勤族でして、あちこち引っ越して回ったせいで特定の「故郷」を持たないから、こう思うのかなあ。

判官贔屓と言えば、頼朝もオーベルシュタインや大久保とイメージ重なりますねえ(笑)。でもこちらは、義経の政治的痴呆っぷりや頼朝の武家政治創業の功績などへの言及は、わりとあちこちの本で見るような気がするかな?

>「せごどん」でもパッとキャラ的に飛躍変身(?)すると

それを期待してはいるのですが、何度か機会がありながらも変身には至らなかったし、やはり西郷へのコンプレックスが最後まで後を引きそうかな~と。ラストそれが遠因で…となりそうな気がしてます。まあこの作品はそういう解釈、と言う事で、しょうがないか。

大久保と西郷は、自分としてはやはりセット、二人一組で対比させつつ見たい気がします。最後も刺し違えたようなもんですし。

しかし、大久保はなんとなく「自分ならこう描く!」ってのが見えなくもないんだけど、西郷はほんとに難しいと思います。どの角度から書いたとしても、西郷の凄さがどこか零れ落ちそうで。良くわからない!が正直なところ。

投稿: TAK@森田 | 2007年11月20日 (火) 15時13分

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