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2010年12月

【新連載告知】新説アルセーヌ・ルパン 「アバンチュリエ」 講談社イブニングで次号から連載開始!!!

新連載発表! 

タイトルは、 

「アバンチュリエ ~新説アルセーヌ・ルパン~」!  

そう、モーリス・ルブラン原作の、アルセーヌ・ルパンの漫画化です! 

第一話の「アルセーヌ・ルパンの逮捕」からやりますよ! 

昨日発売の講談社「イブニング」誌に、新連載予告が載っています! 
予告が載ってるイブニングの表紙ですー。もやしもんが目印!(笑) 
http://kc.kodansha.co.jp/magazine/index.php/02134 
是非、書店やコンビニでチェックを~!!! 

「ルパン三世」じゃありませんよ!(笑)  
ベル・エポックを駆け抜けたフランスの伊達男、 
冒険家、怪盗紳士の、元祖「アルセーヌ・ルパン」です! 

僕は初連載の「Clock Clock ~時の冒険者」にもルパンを出してしまったくらい、 
昔からのアルセーヌ・ルパンファン。 
プロフィールにも、「ルパンと言えばアルセーヌ」と書いているくらい。
このブログのエントリでも何度となく触れてきたし、
「アルセーヌ・ルパン」と言うカテゴリまで作ってます。
いや、ここだけの話、Wikipediaの「アルセーヌ・ルパン」の項目は
実はほとんど僕が書いたんですよ!!!(笑)


というわけで今回、縁あって、満を持してルパンの漫画化を行います。 

「ルパン」と言えば名前だけは有名ですが、 
多くの方はまず「ルパン三世」の方を思い浮かべちゃうと思います。 
また、良くても子供の頃に読んだポプラ社版の「怪盗ルパン」シリーズまでかと。 
完訳のモーリス・ルブランの原作の大人向けルパンを読んだ方は 
案外少ないんじゃないかと思います。 

と言うわけで、コンセプトとしてはまずは 

「1,原作ルパンの面白さを広く紹介したい」 

という事。 

ルパンの面白さはミステリの面白さにとどまらず、 
冒険物、歴史物、伝奇ロマン、果ては潜水艦や戦争シーンまで出てくる 
SF物っぽい要素まであるのです。 
マリー・アントワネットから第一次世界大戦までからむ。 
とにかくスケールがでかい。 

ルパンは、ホームズなどと同じ「ミステリの元祖の一つ」であるのと同時に、 
或いはそれ以上に「最後のロマン・フュトン」であると言えます。 
その歴史伝奇ロマンっけから、ルブランを評して 
「アレクサンドル・デュマの末裔」とする向きもあるほど。 
「三銃士」や「モンテ・クリスト」の匂いもするんですよね。 

てなわけで、二つ目のコンセプト。 

「2,スケールのでかい歴史伝奇冒険ロマンとしてのルパン」 

…ルパンの漫画化はいくつかあれど、割と短編ミステリの単発漫画化が多く、 
ガッツリとした連載で長編シリーズとしてやったのは少ない(ない?)ように思いますので。 

最後に、三つ目のコンセプトとして、 

「3,大河物ルパン」 

これが今回一番特徴的かも。 
もともと原作のルパンは(特に前期作品は)時系列が案外しっかりしていて、 
第一話の「アルセーヌ・ルパンの逮捕」から発表順に読むのがいいんです。 
今回の僕の「アバンチュリエ」では、ここを引き立たせようと思います。 
もともと編集さんへの最初のプレゼンでも、 
「ルパンって大河物なんです!」から始まったんですよ(笑)。 

そうそう、ずっと言いたかったのですが…、 
ルパンの時代と「坂の上の雲」の時代はまさに同時代なのだ! 
(ルパンの最初の短編の発表が1905年、日露戦争が1905年!) 
秋山真之とルパンもどこかですれ違ったかも・・。 
少なくとも夏目漱石は1900年のパリ万博に来てるんだよな! 
漱石はよくホームズの日本のパスティーシュに出されるしw 
宮崎犬ホームズにも出てたような… 

ちなみにホームズの活躍年代とルパンの活躍年代は微妙にずれています。 
ホームズのほうがずっと年上。 
辻馬車のホームズと自動車のルパンですね。 

この辺の設定年代の違いの処理を、「アバンチュリエ」ではどうするか・・も 
乞うご期待、という事で(笑)。 

さて…。

これからしばらく犯罪者を不当に誇張し賛美するぜ! 

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リンチ社会

漫画規制条例、600を超える陳情書にもかかわらず、昨日可決されてしまいました。

【都条例「声無き多数派」に配慮】 
http://mainichi.jp/enta/book/news/20101216k0000m040091000c.html

声なき声…。

そもそもどちらが「多数派」でどちらが「少数派」かは本質ではないので置くとして。 


この国は、多数派が「不快だから」と言って 
声を上げている少数派の人権を奪ってもいい国だったのか。 

たとえば、「多数が快感」であれば、 
少数をリンチ殺人してもいいということですな。 

この国はそういう方向に向かっている。 
兆候は様々な場面に顕れている。 


数々のヘイトスピーチ、性的マイノリティーを侮辱した

石原慎太郎都知事の発言((1)(2))が大した非難も浴びず 
未だに市民の支持を得ているのもその一つ。
都民は危機感を持ったほうがいい。 

誰にとっても、明日は我が身ですぜ。

★★★

彼らが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、
(ナチの連中が共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、)
私は共産主義者ではなかったから。

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった、
私は社会民主主義ではなかったから。

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった、
私は労働組合員ではなかったから。

////////////////////////////////////////////////////
彼らがユダヤ人たちを連れて行ったとき、私は声をあげなかった、
私はユダヤ人などではなかったから。
////////////////////////////////////////////////////

そして、彼らが私を攻撃したとき、
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。

なんども引用されている、ニーメラーの詩。

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